中津川の流れと紅葉
11日(水)曇。貴方は日本人として、自国に誇りが持てるかと聞かれれば、自信を持って「政治を除けば」全てを誇れるし、大好きだと答える。政治家のお粗末さは今に始まったことではない。明治以降の政治家で、世界に誇れる政治家は私には思い当たらない。
とりわけ、戦後の政治家は誇れるどころか、恥ずかしいと思う人物が多い。アベ政権はその極みだ。過去の史実さえも否定し、祖父たちが犯した戦争も美化し、世界中に金をばら撒き、ユネスコを脅し、物欲しげに国連の安保理常任理事国入りを表明するなど。
最も恥ずかしいのは、アメリカの植民地状態にあるこの国を、そこから脱却させるのではなくさらに属国化を強めるという信じがたい政権である。フィリッピンやイラクにも劣るその自主性、自立性のなさは目を覆うばかりである。先進国の名を返上すべきである。
燃えるような 先の戦争法案に対して95%の憲法学者が憲法違反と断じているのに、学者より我々の言い分が正しいと言い張り、研究者を無視したのは、戦後吉田茂首相が当時の東大総長・南原繁に対して投げつけた「曲学阿世の徒」という悪罵に通じる反知性主義の表明である。
政府が戦争法案強行採決の唯一「憲法違反ではない」との根拠にしたのが、1959年の最高裁砂川判決だったが、前泊氏はこの砂川判決の正体について、全体像をアメリカ公文書によって立証したのは国際問題研究家・新原昭治氏とジャーナリスト末浪靖司だという。
東京地裁の伊達裁判長が在日米軍の違憲判決を出した59年3月30日の翌日、すぐにマッカーサー駐日大使(占領軍最高司令官マッカーサーの甥)が朝の8時に日本の外相と会談し、9時から行われる閣議について具体的な指示を与えたという。占領中の話ではない。
我子どもたちと遊んでくれた生徒たち その証拠は3月31日付のマッカーサーからハーター国務長官宛ての極秘電報。「今朝8時に藤山外相に会い、(略)私は、日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すことの重要性を強調。(略)最高裁への上告が重要。藤山は全面的に同意すると述べた」
そして、裁判は打ち合わせ通り最高裁へ。その判決はアメリカの筋書き通りだった。59年11月6日付マッカーサーからハーター国務長官宛て極秘電報。「田中長官と非公式会談で砂川事件について話し合った。長官は時期はまだ決まっていないが、来年の初めまでに判決を出す」と。
「できれば、裁判官全員が一致して適切で現実的な基盤に立って事件に取り組むことが重要だと田中長官は述べた」さらに、アメリカ国務省から最高検察庁への指示も明らかになっている。要するに、砂川判決はアメリカの指示に基づいて書かれたという事実である。