シンガポール中学歴史
26日(木)曇。1981年、私のシンガポール赴任に合わせたかのように起こった教科書問題の国際化は私に緊張をもたらした。日本では中国、韓国の批判を中心に報道していた。(私は一日遅れの朝日新聞で丹念に拾っていた)しかし、実際には現地の批判は激しかった。
実際、帰国後調べたところでは、アジア諸国の主要新聞(82年7月~9月末)に現れた収録記事点数2439点中、韓国949点、香港352点についでシンガポールの華字紙は312点の多さだった。中国の246点より多い。英字紙は外電を転載するだけの73点だった。
その批判記事の何点か、少し長いが、抜粋して紹介する。シンガポール華人は中国史上四大虐殺事件に数える「シンガポール華僑虐殺事件」について、東京書籍が「日本軍は占領したシンガポールで、日本軍に抵抗するとみなした二万人もの中国系住民の命を奪った」
日本占領下の写真集 という記述に対して文部省が検定で「六千人以上」に修正させた問題に対して華字紙は6千という人数は勿論「日本に抵抗するとみなした」という表現に対しても一斉に批判を開始した。以下は聯合早報の社説、論説からの引用である。83年6月2日付の記事から。
「戦後日本の歴史教科書は日本軍が当時アジアの民衆をどのように惨殺したか、という史実をはっきりと伝えたことはなかった。(略)日本が他人の国を侵略したのがただしいことだと肯定しない限り、日本軍に抵抗する者は虐殺されて当然だという結論は出てこない」
「文部省が誠意をもって、正しい態度でアジア諸国侵略の史実を伝えない限り、日本の民衆は正しい歴史観を持つことはできない。そして、その結果は必ずやアジア諸国の民衆に日本人が信頼されることなど、あり得ない」と。翌3日付「6千も2万も嘘、虐殺は5万」
新馬華人抗日史料 という論説記事を掲げた。「日本軍のシンガポール攻略の際、当地の華人は武装して抵抗し、日本側に死傷者を出した。日本軍はこれに報復するため当地の華人に対して摘発と大虐殺をおこなったのだと屁理屈をこねる者がいるが、こんな理屈は成り立つものではない」
「外国の侵略を受けた時、すべての人民には銃を取って祖国を守る権利がある。だが実際は日本軍が虐殺したのはそのほとんどが身に寸鉄も帯びない、罪もない一般大衆であった。アジアの人々は日本の暴虐行為を生々しく記憶しており・・数字に手を加えることで消し去ることができるものではない」
「だからといって、何も永遠に日本を恨む必要など我々にはないのである。だがそれも、日本が率直に以前の過ちを認め、アジア諸国との永遠の平和、友好、共存を願っていることを具体的な行動で証明できるかどうかにかかっている」現在のアベに向けた論説である。