ホイアンの街を人力車で行く
27日(金)大荒れの天気で終日家に籠って、ブログの書き溜めに精を出している。なんとかキャメロン入りをする来月二日までの分を書き終えそうである。接続環境さえ整えば、休まずに継続できそうである。マレーシアは今、雨季で毎日午後から雨降りだという。
私が朝日新聞の故・松井やよりさんの取材を受けるに至った経緯は私が虐殺事件及び占領下の政策について教材化し授業をやった。そのことが生徒を通じて保護者に広がり、日本人会の機関誌「南十字星」に連載を依頼されたり、PTA主催の講演会を依頼されたことによる。
授業の反響は大きかったが、私の予想に反して、私を批判する声は聞こえず、感謝の声が多かった。生徒は授業後、激戦地めぐりをやる者、チャンギー刑務所に行きたい、マイクロフィルムのコピーを借りていく者がいた。最後に生徒の感想文を紹介しておきたい。
ホイアンの古い町屋「私は、この戦争が本当に正義の戦いであればどんなによかっただろうと思う。私が一番悲しかったのは日本軍による大虐殺事件である。シンガポールとの友好のために日本は当然謝罪すべきである。同じ過ちを繰り返さないために、これを機会に平和をまもるよう・・」
「私は小さい頃(この生徒は13年在住現地にいる)、『日本人は残酷だ』と言われたのを憶えています。その時は私にはさっぱり意味が分からなかった。今となって、日本兵が機関銃を中国人に向けて発砲し、死骸は付近の海に放り込んだからだということが分かった」
「あれ何の塔?と父に聞くと、“戦争の記念の塔だよ”と教えてくれた。まさかそれが日本人がシンガポール人を殺した時の記念!?だったとは、授業を聞くまで知らなかった。タクシーに乗った時、ドライバーが日本語で話し出した。しっかりした発音で・・日本人は強かった・・怖かった・・授業の後、あああのドライバーが言っていたことは・・」
ハノイでは見られない町並み「先生がこんな風に授業をやってくれなかったら、私はあまり知らないまま日本に帰国しただろう。今でも日本人を嫌う中国人がいる。私の住んでいるフラットのガードマンは戦争中に日本語を覚えさせられた。そんなことを聞くと、つくづく嫌だなあと思ってしまう」
「日本人のおばさんから聞いた話なんですが、この国の映画館でCATHYという映画館があるでしょ。あの付近には昔、シンガポールの人々の生首がたくさんあったと。マンションのガードマンがそのおばさんにいつも話していたそうです。話さずにはいられないのでしょう」「今日、このことを勉強して、日頃のシンガポーリアンに対する態度を改めなくてはと、つくつく感じた」事実を知ることは、日本人として誇りを失うことにはならず、むしろこれからの友好や平和のために何をすべきかが見えてくると、生徒は語っている。