タナラタの街
12日(土)午前中どんなに青空が広がろうとも、午後2時から3時過ぎには必ず雨が来る。これが雨季の特徴であろう。今日は街をぶらついていたらトラピクスのバッチを付けた日本人観光客がパチパチ写真を撮っている光景に出合った。勿論お年寄りの団体である。
ここキャメロンハイランドと総称されている地域はパハン州に属し、1500m~1800mの高地に開けたところで、南からRINGLET, TANA・RATA、BRINCHANという三つの主な町からなる。英国が保養地や茶園のプランテーションとして開発した。今は高原野菜も主要産業である。
リムさんでさえ、日本軍はここまで占領しなかったでしょうと言った。私はいえ、日本軍はここキャメロンの高地も占領し、Smoke Houseなどホテルを将校用宿舎として占拠し、茶畑を「敵性産業」として栽培を禁止し、ために3年8か月の間茶畑は荒れに荒れたと。
街の通り 戦後再興されるわけだが、その時静岡県人が再興に力を貸した話ばかりが大きく伝えられている。東南アジアの華僑の3分の1は客家人だとも言われるが、孫文、宋慶齢、鄧小平など共産党の出身者が多い。日本軍はそこに目をつけ、客家や海南島出身者を徹底的に粛清した。
以前に書いたが、シンガポール初代首相リー・クアン・ユーも日本軍の検証から危うく逃れ、BRINCHANに身を潜めたと自伝に書いている。タナ・ラタからBRINCHANに入る入口に今でも「海南会館」があり、海南人の勢力は続いている。どこに身を潜めたのか知りたい。
今マレーシアの学校は長期休暇に入っており、11月末から1月3日までだという。このアパートの内外から子供の声がひっきりなしに聞こえるし、街に出れば2~4人の子どもを連れた家族連れに必ず出会う。マレー人も子供や家族を大切にする民族のようだ。
ブリンチャンの海南会館 子どもの声をうるさいという日本人もいるが、そういう人は教員には向かない。逆に年寄りの姿を見ない。日本とはまるで違う。いつ来ても変わらないのは白人の数である。彼らはほとんど安宿に泊まり、トレッキングやバイクをレンタルして茶園の観光を楽しむ。
今日の日本語教室は2人だけで、カステラのようなケーキを持参してきてくれた。みなさん、現役なので忙しいらしい。特にLさんは観光地の宿を手配する会社らしく、中国正月(2月8日元旦)の予約が今から入るのだと。彼女も中国人のマナーに批判的だ。
どこでも日本人の評判がよく、部屋は日本人に貸したがるのだと。私が見ていても納得がいく。今日の授業内容は数字の数え方に絞って学習した。Lさんは中国語も書けるし、読めるので私の助けになる。休憩時間にはケーキを食べ、中国茶を飲みながら、世間話だ。