2013年10月1日(火)快晴。テニスをやっていると暑いほど。例によってマスコミは消費税引き上げを巡る安倍の記者会見で大仰に騒いでいる。こんなのはセレモニーに過ぎない。同志社大の浜教授が指摘したように、いよいよ大企業優先、庶民いじめの税金が来春からスタート。アホノミクス破滅への道だ。
日本の学校でいかに子どもたちの個性が殺されているかを見てきたが、生徒が個性を発揮できない裏に教師の没個性化がある。私の小中高時代、ユニークな教師が沢山いた。誰でも思い出があると思うが、そうした個性的な教師に私たちは綽名をつけて盛り上がった。
怖い先生もいたが、学校へ行くのが楽しみだった。私が教員になった60年代後半から70年代にかけてもまだユニークな先生方は沢山いた。管理職も型にはまらず、山の学校では教務室で校長を交えて酒を飲みながら激論を交わした。校長住宅に乗り込んで二次会までやった。
校長が今のように教育委員会の前で平身低頭してはいなかった。電話口で逆に教委に向かって抗議する校長の姿を何度も見た。平場に戻ったK中でも校長は教育基本法10条全文(教育は不当な支配に服することなく)を筆で認め、校長室に飾るほどの気骨を示した。K中でのお化け論争は忘れがたい。
昔は子どもたちが楽しみにしている学校行事が沢山あった。遠足は勿論、学校キャンプ、弁当を持っての写生会、文化祭でのバザー(体育館や教室を食堂や喫茶にして)生徒会(私は10年余顧問)は文化祭でお化け屋敷をやりたいと言い出した。困難が予想された。
日本の教師というのは世界一真面目な集団ではないかと思う。逆に言えば、融通が利かない。お化け屋敷は文化祭に相応しくない、文化レベルを下げるとか。私は生徒が創造性を発揮する機会だと捉え、世界のお化けの歴史まで調べて、先生方を説得することに成功した。
今の学校はやれ授業時数の確保だ、学力向上だと、生徒の自主性や創造性を引き出す行事がほとんどなくなった。部活で生き生きしている生徒を除けば、学校は勉強や競争を掻き立てられる苦痛の場になっている。それで学力は上がったのか全くノーではないか。
シンガポール日本人学校は生徒も先生方も個性が溢れていた。そういう学校には深刻ないじめはないし、職員会議の激論などは橋下市長や石原慎太郎などに見せれば「なんと効率の悪い、好き勝手なことを言わせている」となるのだろうが、学校は生きていた。
帰国して赴任したF中にははみ出し教師、学級王国づくりの名人教師K先生がいた。徹底して自分のクラスだけは優秀できちんとさせるという先生方には全く評判の悪い教師だった。私は大好きだった。みんなが作れるなら真似すればいいじゃないかと私は主張した。
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