花は夏
3日(木)曇りのち晴れ。急なテニスのお誘いで勇んで出かけた。キャメロンハイランドのお土産の紅茶を配る。皆さんは「何をしに行くんですか」と聞くから、テニスとトレッキングと日本語教室ですと答える。しかし、私の本音はアジアへの謝罪旅行である。
私はフィリピンとブルネイを除く東南アジアのすべて国に旅をした。ロングステイはシンガポール、タイ、ベトナム、マレーシアの4ヵ国である。ロングステイとなれば現地の人々との交流は当然ある。年配者と話をするときには最初に大戦中の日本の所業について謝罪する。
そのことなしに会話は始まらない。韓国、中国は勿論である。私は政府が謝罪しないから代わってやっているのだと思っている。私の父が犯した罪でもある。私は卑屈な気持ちで謝罪して回っているのではない。謝罪は受け入れられるし、信頼関係を築く礎になる。
花は夏2
マレーシアにはシンガポール在任中、西海岸はペナンまで、東海岸はクアンタン、中央部はゲンテインハイランドからキャメロンハイランドまで家族で旅をしている。友人を得たのはスマトラ島で出会ったKLのLさん家族だけだが、今後広がる予感がしている。
私は良く知らなかったが、マレーシアは日本人のロングステイや移住希望者など人気ナンバー1だという。タナラタだけでも冬などのハイシーズンには400人もの日本人で溢れるというから頷けるが、話をしていると、驚くほど日本が彼の地で何をしたかご存じない。下手をすると、そんな話をすると、反感を買いかねない。
日本が経済的に貢献し、政府間や現地人とも友好関係にあるのだから、今更目くじらを立てる必要もないじゃないかという考え方もあろう。しかし、私は納得しない。現地で大国かぜをふかし、横柄な態度をとるなど、もってのほかである。せめて日本軍がマレーシア各地で何をしたかくらい知っておいてほしい。知らなくていいのか。
花は夏3
虐殺事件だけでもペナン島2000人、ジョホール2000人、マラッカ3000人は一般書にも記述はあるが、1984年8月17日の現地華字紙「新民日報」に載った記事は衝撃だった。「日本統治時代に日本軍(蝗軍)は残虐な大虐殺を行い、300余体は白骨となって郊外に埋められた」
と題し「あの悲劇は1942年3月3日、(旧暦の正月18日)現場(ネグリセンビラン州)で午後6時頃に発生した。日本軍は昆都通りのゴム園に侵入し、非人間的な大虐殺を繰り広げ、身重の妻を含む12人を皆殺しにし、13の命を奪った。3,7,8歳、70歳の祖母も」
「ブリス昆都通りのゴム園の労働者住宅(長屋)には老若男女300人余りが集まっていた。日本軍はそれを包囲し、男40人は取捨の外に連れ出され、林の中で刺殺された。女子供は一か所におしこめられ、15歳以下の男は両手を縛り、長屋の周りに灯油をまかれ焼かれた」(すべてはたった一人の生き残りの証言である)
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