飯舘村を行く
7日(月)快晴。体重が元に戻りそうな気配があって、今朝から散歩の距離を伸ばした。食べ物がおいしい、車で移動して、歩かない。日本は体重増の誘惑と条件で満ちているのだ。昨日参加した鎮魂の森、南相馬市復興市民植樹祭の様子を記録にとどめておこう。
朝4時半起床。おにぎりを握って5時出発。磐越自動車道に乗る。空は茜色の朝焼けだ。三川に至ると今度は霧が発生、霞たなびく水墨画の世界だ。早起きは三文の徳とはよく言ってものだ。五百川Pでおにぎりを食べた以外はひたすら走る、郡山まで2時間で到着。
その後が大変だった。いわき三和から6号線に出るつもりだったが、広野町から原発立地の楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江の各町は警戒区域で立ち入り禁止区域だったのだ。準備不足のツケ。それを高速の降り口で聞かされ、再び高速に乗り、小野ICまで戻る。
植樹祭会場の熱気
そこから349号、12号と乗り継いで、川俣町から飯舘村に入る。あのスピーデイの画像に放射能をもろに浴び、村民全員が村を追われたのだ。まさに山間にある、原発交付金の恩恵を一文も受けていない、地震による家屋の倒壊も津波の被害もない平和で静かな村だ。
今は村のお年寄りが庭先で片づけをする姿を何軒か見かけたが、村の中に何軒あったのだろうレストランや食堂には綱が張られ、もちろん休業。「本場飯舘牛」の看板が痛々しいばかりであった。畑や庭先には除染された汚染土であろう上に青いビニールシートがかけられ、畑や水田は草ぼうぼう。
事故直後、村から牛を疎開させたり、売却する農家の人達が泣きながら牛を見送る映像をまざまざと思い出してしまった。除染と言っても、この地に立ってこの地形を見れば、完全な除染などあり得ない。水田や畑の復元はさらに困難ではないか。飯舘から南相馬市に入る。
人気者まで参加して
道を聞くために立ち寄った酒屋さんで、これから会場に向かうという現地の女性についていくことに。会場は松林に囲まれた海水浴場やキャンプ場があったところだというが、その面影は全くない。陸前高田の奇跡の一本松が南相馬にもあった。見渡す限り荒れ地の空き地だ。
その駐車場に数百台の乗用車や全国各地から来た大型バス。到着が10時半、実に5時間半もかかったことになる。受付を済ませると、開会式が始まったばかり。このプロジェクトの理事長で元首相の細川護煕氏の挨拶、南相馬市長、AKB48の3人の女性の紹介、挨拶と続く。
海側にこれから植樹する瓦礫と土を混ぜて作った高さ2m、幅30~100mの人工のマウンドが用意されていた。これを東北の海岸300~4000キロにわたって、9000万本の木を植えるという壮大な夢のある計画である。20年後には立派な鎮魂の森が誕生するというのだ。
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