飯舘村を行く
14日(月)雲一つない快晴。朝一時間ほど歩き、午前中は庭の枝おろしをやった。隣家の外壁に触れる状態なので、気を使う。毎年裸同然に切り落とすのだが、その成長力たるや驚くばかり。先日の南相馬での植樹祭でもらった花の種も飢えた。命の朝顔がまだ咲いている!
日本の情報公開の遅れは恥ずかしながら世界に知れ渡っているが、NGO国境なき記者団が発表している「報道の自由ランキング」で今年、震災前の22位から53位に転落している。22位でも恥ずかしいのに。福島原発事故のデータ隠しが大きく影響したという。
日本の不十分な内容ながら情報公開法ができたのが99年、新潟市の条例はそれより早いが、新潟県に情報公開条例ができたのはわずか11年前のことである。にも拘らず、新潟は今年12位から4位に上がった。長年の市民オンブズマンの運動の成果以外の何物でもない。
飯舘村を行く2
その情報公開法に基づいて朝日新聞が請求した外務省公文書によりとんでもない事実が又明らかになった。右翼が非難の的にしている慰安婦をめぐる「河野談話」が出る前の93年7月30日付の極秘公電。武藤嘉文外相が東南アジア諸国の日本大使館宛ての文書である。
韓国で実施した被害者からの聞き取り調査に関連し、フィリッピン、インドネシア、マレーシアにある日本大使館に「関心を徒に(いたずら)煽る結果となることを回避するとの観点からもできるだけ避けたい」との極秘公電。3か国では聞き取りを実施しないと言う内容なのだ。
国会答弁では「朝鮮半島に限っていない」と答弁しながら、実は沖縄の密約事件同様、国民にウソをついていたのだ。日本軍が組織的に関与した慰安婦制度が朝鮮半島や中国に限られるはずもなく、占領した地域ですぐに設置したのが慰安所だった。極秘扱いにするほど恥ずかしいことだという認識があったということか。
飯舘村を行く3
私がシンガポールで購入した「新馬華人抗日史料」(1937~1945年、中国語と英語による1100ページ余)にその様子が書かれているが、後日訳出して紹介したい。この本に頼るまでもなく、当時の軍医経験者が慰安婦の性病検査に関わった記録などいくらでもある。
現地人を慰安婦に仕立てたばかりではない、捕虜のオランダ人女性も将校用慰安婦にされた話も広く知られている。日本政府が、「ない」と言い張るなら、積極的に調べるべきなのに、むしろ隠蔽したということだ。武藤氏は09年に亡くなったが、今の政府も同罪だ。
民主党野田政権がこの問題について韓国と交渉し、謝罪と賠償をやる方向で話がほぼまとまりかけていたらしいが、安倍政権の登場でご破算になった。菅官房長官は「私どもの政権に引き継がれていることはまったくない」と言っているが、許されることではない。
海外赴任時に必要な予防接種や健康診断が可能な全国のクリニックを紹介しております。